Unbalance + Balance 明菜自身による、セルフ・ライナーノーツ

「中森明菜の代表アルバムは?」と人に聞かれたら、このアルバム名を挙げる。数多ある、明菜のオリジナル・アルバムの中でも最高傑作と言える。中森明菜の様々な才能が詰め込まれた、このアルバム魅力を一言では言えない。

1989年に発表された「CRUISE」より、なんと4年ぶりのオリジナル・アルバムである。この4年の間に、色々な出来事があった。「もう、明菜は唄う事を辞めてしまうのでは?」と思う日もあった。明菜が不在のミュージック・シーンにも大きな変化があった。明菜とリンクするように、89年秋に「ザ・ベストテン」が終了。続いて「トップテン」も終了。90年には「夜のヒットスタジオ」までが終了。歌謡曲畑で活動していた、いわゆる「アイドル」の活動が縮小され、消滅し「アイドル・冬の時代」が到来。代わって「バンドブーム」の到来。「プリンセス・プリンセス、米米クラブ、Bzなど)アイドルでは、WINK、工藤静香、中山美穂が健闘していたが、「80年代のアイドル時代」の輝きとは比べようも無い。そんな状況の1993年、明菜はレコード会社を移籍し、再スタートを切った。5月に第1弾シングル「エバーラスティング・ラブ」を発売。坂本龍一が作曲と言う事で、注目されたが、オリコン初登場10位。12・9万枚の売上。決して「駄作」では無いが、「凡作」。明菜は、この楽曲に、どうアプローチして良いかとまどったのかもしれない。「盛り上げる部分」が見つからないのである。後年、明菜は「もっと歌詞がセクシーだと良かった」「復帰1作目は、バーンとした曲が良かった」「唄ってても、全然楽しくなかった(TVでは4回しか披露してないのだが)」と言っていた。「明菜色」に染める程に、この楽曲を愛せなかったのだろう・・・。時間が少し流れ、夏が過ぎ、当時のEマネージャーの「大麻疑惑・騒動」が収まりかけた頃、久しぶりのアルバムが届いた。今は無き、六本木の「WAVE」で視聴して、感動した事を 昨日の事のように覚えている。


「中森明菜が帰ってきた」
「明菜は、『浦島太郎』には、なっていなかった」
「明菜は、レコード会社が変わっても、大丈夫だ」
「このアルバムは、ありそうでなかった 作品ばかりである」

 

「静と動、光と影、偽りと真実・・・と、彼女の存在は、これまでの活動の振幅があまりにも大きいため、アンバランスとも受け止められてきたと思うんですよ。しかし、今回のアルバムのコンセプトは、この絶妙ともいえる、彼女のバランス感覚を音源化することだったんです。」 (MCAビクター宣伝部):「明星」付録ヤンソン93年11月号

一言で言えば、「幕の内弁当的」 と言える。何を唄わせても、こなせてしまう明菜の「バラエティー」な部分をパッケージ化。作品に注目して見る。

①「永遠の扉」・・・前作「CRUISE」に続き、玉置浩二が作品提供。千住明による、スケールの大きなアレンジが印象的、千住氏は、明菜の91年復帰コンサートのオープニング曲も提供。彼との出会いが無ければ、「歌姫シリーズ」も、続いたかがどうか。また、作詞は夏野芹子。彼女が明菜に詞を提供した第1号。90年代の明菜の歌を語る上で、夏野芹子は外せない作家の1人。一見、この歌は「薄幸なバラード」だが、よく歌詞を読むと、「心を抱いて」「伝説を作るほど 愛して」と、失恋歌ではなく、求愛歌である事に気付く。

②「愛撫」・・・大傑作。80年代のアップテンポの代表作を「DESIRE」「飾り・・」とするならば、90年代を代表するのは、この曲。名曲というのは、歌詞・曲(編曲も含む)・歌唱の3つの要素によって生まれる。この曲は、その条件を過不足無く満たしている。「二人静」という歌は関口誠人との共作だった。松本隆が、「明菜のために書いた」初めての作品。(確か)・・・やはり松本隆は天才である。本来、「打ち込みの音」は、自分は苦手である。明菜も同様のようで、よく雑誌に「機械の音は、血が通っていない」「感情が無い」と言っていた。そんな明菜が「ベースやドラムを効かせて、音に厚みを・・」とプロデューサーに要求したそうだ。また、「人間は、息継ぎをするから、機械の音とズレる。だから、一歩「引いて」唄った」とも述べている。「愛撫」と「ノーマ・ジーン」は、92年には録音されていたようなので、93年8月にでも「シングル化」していれば、紅白歌合戦にも出場出来て、もっと順調な活動が出来たのでは・・・と今更ながら思う。
 

「愛撫」は、Mステーションをはじめ、数多くの歌番組で披露されて、93FNS歌謡祭のオープニング・アクトを飾った。有線チャートも3位まで上昇。年間カラオケチャートも12位と、アルバム曲としては、大成功を収めた。(94年に「片想い」のカップリングに)この歌では、「愛さないでね 愛してないから 哀しい嘘がひとひら」「許さないでね許してないから 憎むくらいに見つめて」の部分が聞き所。「探せば 探すほどLONLY NIGHT 見失う未来」の部分は、明菜が唄うからこそのリアルですね、ハイ。明菜とコムロのタッグは、今まで「ありそうで、なかった」世界を作るのに成功した。

③「黒薔薇」・・・前作「CRUISE」でも活躍した、オズニーメロの作曲。また明菜とタッグを組んで欲しい。彼の現況は如何に?作詞は、松本隆。オズニー・メロの「JAZZYな打ち込み音」に合わせて、歌詞もグッと大人の世界に。明菜自身も「いつか演じてみたい世界が、ここにはある」と言っていた。「愛撫」と比べると、より大人の「愛の幕切れ」を唄っている。ハイヒールは投げて欲しくなかったが。(笑)「刺激的な遊びなの」「ベッドの中では娼婦にさえなれた」・・男だったら、一度はこんなセリフを美女に言われてみたいもの。英語の歌詞「BLACK ROSE・・・」の一節は鳥肌モノ。こんな名曲を「Mステーション」と「94ライブ」の披露で終わらせてしまうのは、もったいない。MCA時代を代表する傑作。

④「YOU ARE EVERYTHING」・・・オズニー・メロの作曲。間奏のアレンジも渋い。歌詞は、明菜の歌にしては珍しく「ハッピー系」。(鮎川めぐみは、「BLUE RACE」も後に提供)だが、決して、この歌も  手放しで「幸福」な世界を書いてはいない。色々2人の間にはあったけれども、「もう1度初めから抱きしめて」「もう2度と この愛を離さない」と言っている。どちらかというと、「保守的な女」。そんな女性を明菜が見事に唄っている。

⑤「光のない万華鏡」・・本人作詞。関口誠人が作曲たった短い6行の詩。「何を聴いていても 悲しく聞こえる」とストレートな直球の詩。「あぁ、明菜は不幸だったんだね、この時」と思う。「光を失った鏡の前に立ち」・・・万華鏡じゃなく、鏡。そして、鏡が光らなくなったのではなく、映っている「自分」が光っていないのである。「花びらのこして 部屋をでていく」・・・かれも抽象的な表現。「花束」「花」ではなく、花びら。花瓶の中の花をむしったのだろうか?部屋とは、自分の部屋?恋人の?「でていく」・・・外出するというより、もう2度と戻ってこない感じがする。明菜の心象風景が見えてくる作品。1分たらずの歌だけれども、「教会音楽」のような・・・つまり賛美歌のようなアレンジが新鮮。1曲目が7分を超える「大作」だった故に、この短さが、良い「バランス」となっている。これも、今まで ありれそうでなかった作品。(96年5月DS、2000年ライブで披露。)

⑥「眠るより泣きたい夜に」・・タイトル名とは違って、クールな女性像。作詞は夏野芹子。このアルバムでは、2作品とも、いい仕事をしている。作曲は、BRO・CORN(確か、バブルガム?)だけあって、R&B。CORNは、雑誌「JUNON」で「明菜は、今まで振幅の激しい歌をのけぞって唄うイメージがあった」と言い、それとは違うイメージにしたかったのだという。実際、明菜はビヴラートをきかせる訳でもなく、冷淡にフラットな感情で唄いあげている。老婆心?ながら、40過ぎた明菜には、こういう曲をライブで、どんどん唄って欲しいと思う。本格的なR&Bのフル・アルバムを聴いてみたい。「VAMP」も良かったしなー。編曲はオズニー・メロ。いいアレンジです。

 

⑦「NORMA JEAN」・・・作詞:松本隆、作曲:小室哲哉・「ノーマ・ジーン」とは、マリリン・モンローの本名ですね。「ノマ・ジーン」と言えば、エルトン・ジョンが彼女をモチーフに名曲「キャンドル・イン・ザ・ウインド(風の中の ろうそく)」を作りましたね。ダイアナ(元)妃が亡くなった時は、葬儀で「グッバイ ノーマ・ジーン」を「グッバイ イングランド・ローズ(英国のバラ)」と変えて唄っていましたね。

さておき、マリリン・モンローは世界中の人に愛されてきました。時代のセックス・シンボルでありながら、最後は「睡眠薬 死」という悲しい最後。ケネディ大統領とも噂になりながら、映画では、いつも「美人だが頭の悪い女」を演しされられていましたね。(映画「還らざる河」くらいかな?知性ある女は)モンローは、美しかった。が、決して幸福では無かった。そんな所が、大衆、ひいては世の男性から永遠に愛されているのかも。(ダイアナさんにも共通してますね)

前置きが長くなったが、「NORMA JEAN」は、モンローの生涯を唄った歌、とも言えるのだが、これは「栄光を手にしたスターの悲劇」にも解釈出来る。もちろん、明菜にも。「いちばん大切な 何かを 失くした」「幸福は 買えない」「絶対に 買えない」・・・と。録音した時、明菜は「ノーマ・ジーン」=モンローとは知らなかったそうである。(笑)それが、かえって良かったのかもしれない、と ふと思う。この歌の主人公との「距離感」が、丁度良い。

⑧「NOT CRAZY TO ME」・・・最初、この歌は、「IT’S NOT CRAZY TO ME」のタイトルだった。NOKKOが作詞しており、まぁ、坂本教授の「人脈」の広さを感じるのだが、正直言って、この歌詞は良くない。「付け焼刃」で、急いで作ったという感じ。シングル「エバ・・・」のカップリング曲だが、まぁ、この時は明菜とスタッフの意思疎通が取れていなかった事が分かりすぎる。ま、その辺の事情は、元・側近の「暴露本」にも書いてあったので、これ以上は触れない。ただ、普通なら、この歌詞では「ボツ」である。「エバー・・・」にしろ、この歌にしろ、もっと時間をかければ、良い作品に仕上がったと思う。それが残念。そもそも、坂本龍一は、「売れセン」の楽曲を作る人では無い。(YMO時代の「君に、胸キュン」は、オアソビ。)だから、「エバー」にしろ、この歌にしろ、彼なりの「歌謡曲より」のアプローチだったと思う。明菜は「かっこいい曲を」と頼んだそうだ。歌詞が、もう少し「近未来的なメトロ」を表現して欲しかったなぁ。結局、NOKKOって明菜に対する「思い入れ」が無かったのだろう。「教授」に頼まれたから、って感じ。(大貫妙子もそうだけど)ただ、今 聴いても、この曲はこのアルバムの中に入ってて、全然おかしくない。そんな曲である。

⑨「陽炎」・・・「永遠の扉」の別歌詞&アレンジ。アレンジは鳥山雄司。明菜が作詞。今度は「6行」とかではなく、ちゃんと「作詞」をしている。過去の愛を回想し、慈しんでいる。「幸せと 思えるの 今でも」まず、アルバムで このような作り方をしたのは、明菜は初めてである。(他の歌手でも、このような作り方をした人はいるのだろうか?不勉強なので、知らない)歌詞とアレンジの変更で、見事に「別曲」になっている。唄い方も違う。明菜は、98年に「月の微笑」という歌をアレンジと共に2種類の唄い方をしている。やはり、ただ者ではない。「永遠の扉」が、「静かな炎」だったのに大して、「陽炎」は、もう悟りの境地というか、諦めにも似た感情で唄う。あなたが陽炎です。ハイ。22歳で「難破船」を唄ったように、この人は、いつも「先」を歩いている。大人の女性を唄っている。だからこそ、何年あっても、色褪せないのだろう。2000年のコンサートでは、東京・青山劇場でオープニングが「永遠の扉」ラストが「陽炎」という構成で、とても良かった。(途中の会場から、「陽炎」が「帰省」に変更。それも又 良かったが)「陽炎」の歌詞を見る限り、中森明菜のプロデューサーは、明菜自身なのだと再確認出来る。TVで1度披露。(歌謡ビンビンハウス)94年、95年ライブでも披露。の歌は、彼女の「スタンダード」の 1曲と なるであろう。

 

「アンバランス+バランス」(1993年9月22日リリース)

(オリコン最高4位、セールス18・6万枚)◎雑誌「ワッツイン」93年10月号(表紙&インタビュー)より

 

「永遠の扉」 曲を書いてくださった玉置浩二さんのことはインタビューでも言いましたけど、詞を書いてくださった夏野さんは、本当に女性の気持ちをわかってる人です。彼女の詞は大好き。

(注:雑誌本文インタビューより)「・・玉置浩二さんは、気心が知れてるところがあって、一緒にお酒を飲ませていただいたところもあるので、そういう意味ではお互い「見えてる」感じ。生意気な言い方ですが、楽ですね。玉置さんが海の水なら私は塩。すぐに溶け込めるかなっていう感じ」)

「愛撫」 アルバム全体の雰囲気を感じてもらうのには、この曲が代表的かもしれません。あくまでアルバム全体を今回は打ち出していきませが、テレビなどで1曲だけ歌う時は、この曲ですね。

「黒薔薇」 私は28なんですけど(注:93年10月)、まだまだ外見とかガキっぽいところがある。でもいつか年齢相応の女性になれたら、ぜひ歌の中で「演技」してみたい世界が この曲の中にあります。

「YOU ARE EVERYTHING」 どんなに強い女の子であっても、愛する人に対しては やさしい気持ちが持てる。そして、そのやさしい気持ちが愛の中で強さに変わるのであるなら、素敵じゃないかと思います。

「光のない万華鏡」 自分で詞を書いたのに、いつ書いたのか覚えてないし 詞の意味もわからない。これから自分で見つけていきます。このコ(私)は何がいいたかったのかを。(笑)

「眠るより泣きたい夜に」 小悪魔っぽいところって、必ず女性にはあるんですよね。そんな自分を意識して、たとえ自己満足でもいいから、ちょっと女優になってみるのも、いいんじゃないですか?

「NORMA JEAN」 私、デビューした頃から、田原のトシちゃんから言われてた。「お前はマリリン・モンローに似てるよ」って。もちろん外見とかじゃないですよ。で、最初はどういう意味だか わからなかった。そのうち23くらいになって、他の人からも言われだした。だからこの詞が来た時には、なんか不思議な縁を感じましたよね。

「NOT CRAZY TO ME」 本当は、もう少し音をいじりたかったんですけどね。シングルで出てるものと、全然違った感じにしたかった。しかし、いろいろな事情もありまして。本当は、もっといじりたかったのよ。気持ちは分かってね、と(笑)。

「陽炎」 自作の詞なものですから、ワイド・ショーでは、『現在の私の心境』だと言ってましたが、決してそうでは、ありません(笑)。くよくよしないで前向きに生きていくことの大切さ--- それを この歌に込めたつもりです。

 

 

D404ME

『歌謡曲・名曲 名盤ガイド・1980’S』の本より。

”だしおしみ”とも読む(らしい)通算8作目のオリジナル・フルアルバム。アルバム冒頭と最後に雷鳴のSEを収録。シンセ・ドラムとホーンを強調したメタリックなサウンドで、「ノクターン」「悲しい浪漫西」に顕著だが、これが意外に明菜のナマっぽいヴォーカルとシンクロして独自のシュールな宇宙を築いている。

 

「ENDRESS」「マグネティック・ラヴ」は大貫妙子作曲だが、どちらも彼女の個性であるヨーロピアンスタイルとは異なり、前者は哀愁ブラコン歌謡、後者はファンキーなサウンドが粘っこいメロディーと妙にマッチ。間奏で「ミ・アモーレ」が一瞬登場するユニークな遊びも。飛鳥涼の哀愁メロディとAKAGUYのフュージョンサウンドのミスマッチ「ノクターン」も聴き所。テクノ歌謡「BLUE OCEAN」では久石譲がアレンジとキーボードを担当。シングル候補にも残った忌野清四郎作曲の歌謡ロック「STAR PILOT」はRCサクセションのアルバム『ハートのエース』収録の「スカイパイロット」に別歌詞を載せた変形。B面3曲(注:6、7、8曲目)は明菜サウンドの新機軸であり、彼女も蓮っ葉な唱法で新たな境地に挑んでいる。従来の明菜世界は「モナリザ」1曲と言ってもいい。ラストに「ミ・アモーレ」のサンバ・バージョンを収録。

 

個人的には、アルバム『不思議』の次に「明菜らしくないアルバム」だと思う。(『will』は論外なので、対象とせず)全体的にエフェクト加工・音処理されているせいか、「異質」な感じを受けるのだ。明菜のボーカルも、様々な実験的歌唱を試みていて、その「姿勢」は評価出来るものの、今聞いても、当時も「違和感」を感じるアルバムだ。もっと正直に言うと、あんまり好きじゃないって事。1曲1曲ごとのクオリティーは低くないし、結構何度もリピートしてしまうアルバムなんだけれども・・・これといった「決定打」の曲がない。最後に「ボーナス・トラック」として、「ミ・アモーレ」を入れたのも、大正解。

 

このアルバムのタイトル「D404ME」とは、告知ポスターや、雑誌の広告によるとN・Yにある倉庫街にある、倉庫のD棟・4階の「ママ・サンドラ」の部屋の名前らしい。コンセプト的なストーリーも存在する。しかし、そのストーリーとは、このアルバム収録の10曲とは、全く関係がない。(86年の『不思議』に収録予定だった「赤毛のサンドラ」という曲は、もしかしたら関連性があったかもしれない。が、あくまでも推測。)

 

同年4月3日に発売したアルバム『BITTER&SWEET』から、たった4ヶ月でこのアルバムをリリースした事自体、明菜もスタッフも「ノッている状態」だったのだと思う。当時のアイドルは、1年間にシングル4枚、アルバム3枚とか普通にリリースしていたし、むしろ明菜は、ペース的には少ない方だったと思う。それでも明菜も1年間にシングルは3枚、アルバムも企画アルバムを入れて2~3枚はリリースしていた。1988年までは。いい時代だったなー。それだけアイドル歌手に作品提供する『作詞家』『作曲家』も多かったという事なのだろう。そして、明菜の下には沢山のデモ・テープが届けられたそうだから、(一説によると、1回の制作で数百本)その中から選びぬかれた吟味された作品・・曲のクオリティーが高いのも、当然といえば当然だ。

 

 1・ENDLESS

雷鳴の音が鳴り、1曲目がスタート。作詞・松本一起、作曲・大貫妙子、作曲・井上鑑。となると、ソフトなバラード・・・ではない。結構激しいサウンドの曲。「汚したくない」「甘えたくない」「自分に負けたくない」「立ち止まりたくない」「イラナイ」「嘘などないと」とナイナイづくしの歌詞が印象的。「幕の内弁当」的なアルバムを飾るには、良いんじゃないかと。当時の明菜が歌うにはふさわしい「ツッパリ・ソング」的な楽曲。

 

 2・ノクターン

飛鳥涼提供の楽曲。『予感』にしろ、『夢のふち(注:歌詞だけ)』にしろ、明菜と飛鳥涼の曲の相性って良いと思う。冒頭の「気がつけば音のない 回るだけのレコード 針を止める 余裕もあげはしない」から、もうスリリングな世界。明菜のビブラートが余りにも効きすぎているが、この曲は、いい歌です。86年の「DESIRE」の歌唱の片鱗が見られます。

 

 3・アレグロ・ビヴァーチェ

作詞・三浦徳子、作曲・編曲・後藤次利。この頃の後藤次利って、おニャン子クラブとか工藤静香、とんねるずに作品提供してブレイクする前の時期です。この人って『夢のふち』とか『夜のどこかで』『ROSE BUD』とか、割と明菜と接点あったんですね。90年代は、工藤静香とか、とんねるずに「ほぼ独占」されてた感じがしますが。サビの「DANCE AGAIN~」のフレーズが印象的。というかサビばっかりの構成の楽曲。
 
 4・悲しい浪漫西

作詞・許暎子、作曲・都志見隆、編曲・中村哲 同年6月にリリースされた「SAND BAIGE」の作詞家&作曲家のコンビの作品。もしかしたら、シングル候補だったかも?これも今聞くと『平凡な作品』。当時の明菜作品としては、新鮮だったのかも?「アレグロ・ビヴァーチェ」も、そうだったが、悪くはないけれど、決してシングルには出来ない。あくまでもアルバムの中の1曲。って感じです。

 5・ピ・ア・ス

作詞・岡田冨美子、作曲・タケカワユキヒデ、編曲・中村哲 LP(カセット)のラストを飾るには、やはりバラードでしょ。歌詞だけ見ると、別れた彼の事を懐かしむ少女の独白・・・というか自問自答って感じ。なのに、明菜作品にしては珍しく、暗さは・・無い。「思い出がしびれる」状態にいる少女の心理状態なのだ。「何故 別れたの?」と言いながら、「この せつなさに いらだつ真夜中が好き」だの 「今なら もっとうまく 愛せそうな気がする」「電話のベルは ならないけれど 二人のライン もういちどつながりそうよ」だの、『根拠の無い自信にあふれている状態』。恋愛の主導権を握っていたのは、私の方なのよ・・・という自信か?
86年のコンサートでは、「ありふれた風景」に続き、2番目に 唄われた歌である。  

 6・BLUE OCEAN

作詞・湯川れい子、作曲・NOBODY、編曲・久石譲 B面の1曲を飾る、カラっと明るいナンバー。この歌は最初「こ惑」というタイトルで、別の歌詞が存在していたが、こちらの歌詞に落ち着いた。湯川れい子の歌詞は、アン・ルイスだけじゃなくて、明菜にも非常に合う。「イケイケ女(死語)」を書かせたら、彼女の右に出る者はいませんね。「TOKYO(このまち)は 広すぎて 顔も見えないあなたが 誰かさえ 忘れたわ」の歌詞は、いかにも湯川サン。   
   
 7・マグネティック・ラブ

作詞・EPO、作曲・大貫妙子、編曲・清水信之 「磁力の運命 信じてもいい」「あなただけに愛されたい」と「恋の予感」を唄う。冒頭の「スピンしながら たおれこむジルバのように マグネティック・ラヴ」の歌詞をはじめ、歌詞自体はオシャレなんだけど、ただ、それだけーのEPOの世界。明菜は当時EPOのアルバムを、よく聴いていると、雑誌で語っていたが。大貫妙子の曲も「凡打」って感じ。大貫さんは、93年のMCA移籍第1弾のシングル「EVERLASTING・LOVE」の作詞もしてるけど、これも「凡打」だったし。本人の歌う楽曲は、沢山名曲があるのに、どうも明菜との相性はイマイチ・・ですね。

 8・STAR PILOT

作詞・ちあき哲也、作曲・忌野清四郎&小林和生、編曲・後藤次利 個人的には、このアルバムの中で(ミ・アモーレを除き)1番好きな歌。アッパ-なサウンドに明菜のボーカルが絡んで、聴いていて非常に心地よい。歌詞も深読みすると、エロティックなんだけど、それを感じさせないのは当時の明菜の人気・キャラクターのせいかな?今、ライブで披露しても盛り上がりそうな楽曲。自分は1度も「生」でも「テレビ」でも唄ってる姿を見た事がありません。いつか披露して欲しい!いかにも「忌野サウンド」ですよねぇ。

 9・モナリザ

作詞・竹花いち子、作曲・編曲・後藤次利 アルバムに「統一感」をもたせる為か、この歌も「風が二人逢わせたぁああああ」「運命を感じてるのよぉおおお」と、必要以上にビブラート全開。いわゆる「明菜のモノマネ」の時の歌唱法。とはいえ、歌詞や曲の雰囲気は、「これからNATURALLY」みたいな世界なので、シングルのB面になっていたとしてもこの曲に関しては、違和感は無い。「モナリザになりたい あなたの前で」・・・コンセプトは非常に単純明快。でも今まで「モナリザ」を唄った歌って、全然なかった気がする。有名なナット・キング・コールの歌があるからでしょうか?

余談ですが、中山美穂がファースト・コンサート(だったと思う)で、この歌を唄っています。「バージン・フライト」というタイトルでライブビデオ&ライブレコードを発売しましたが、その中に収録されております。中山美穂が明菜ファンだったから、披露したんでしょうか?それともスタッフに言われたからなのか?アイドルのファースト・ライブって、自分の持ち歌が少ないから、結構他の人の歌を唄うんですよねー。明菜のファースト・コンサートは、山口百恵の「夢先案内人」、岩崎宏美の「シンデレラ・ハネムーン」などを唄ったそうです。

 10・ミ・アモーレ(スペシャル・ヴァージョン)
    

当時のLP・カセットでは、「10曲目」としてではなくて、あくまでも「ボーナス・トラック」扱いとして記載されていました。「シングルとアルバムは別」の考えは、この辺りから真剣に考えたのかもしれません。過去には『NEW AKINA エトランゼ』というシングルを入れないアルバムを1枚出していますし。86年以降、『不思議』~88年の『FEMME FATALE』まで5作連続で、オリジナル・アルバムに「シングル」は入れていません。(「クロス・マイ・パーム」の中の「THE LOOK THAT KILLSは、「BLONDE」の原曲・英語曲だったけれどね。)

『BITTER&SWEET』でも、「飾りじゃないのよ涙は」の   アルバム・ヴァージョンを収録してたけど、シングルの別アレンジをアルバムに収録するって、85年のアイドルでは結構珍しかったです。

(今、浜崎あゆみとか、1つのシングル曲の中でリミックスを入れまくってるけどねー。昔だったら、あれだけリミックスを入れたら、「ミニ・アルバム」扱いされたものです。『SEASONS』『DEAREST』とか・・)

もちろん、明菜以外のアイドルも当時やってましたが。12インチ・シングルを出したり、「世界初のグラフィカル・デイスク」という『MY BESTTHANKS』を12月に出したりと、85年の明菜は、本当に精力的に活動してたなぁ。

このアルバム・ラストの「ミ・アモーレ」は、最初から1番の終わりまではシンプルな民族楽器のアレンジで歌唱。2番からはオリジナルと、ほぼ同じ演奏アレンジ。そして、最後にまたシンプルな民族楽器の演奏が付け加えられて終了。「お祭りの集団が近づいてくる様子」や「祭りのあとの静けさや無常感」が見事にアレンジに表現されているのでは?と思う。このサンバ・アレンジで、いつか「ミ・アモーレ」をライブで聴いてみたい!

 

このアルバムのジャケットは、当時 原宿?にあった、「CLUB-D」というディスコで撮影されました。きっと明菜は常連客だったんでしょうね。(ちなみに、「二人静」のジャケットは、麻布十番の「マハラジャ」で撮影された)白い衣装の明菜。足に はいてあるのは、コンビニのビニール袋で、明菜自身によるアイデア。コウモリが沢山飛んでいる可愛いセットにも注目。歌詞カードのインナーにもコウモリのイラストが数匹。ドラキュラというより、「カワイイ白い魔女」って感じ。この辺は、まだアイドルでしたね。雑誌やテレビでも、インタビューには、全然出なくなりましたね。トップ・アイドルにしては、珍しかったです。CMの依頼にも、「吟味」して、限られたCMにしか出なかったとか。あくまでも「歌手」として、レコードやライブで勝負!の明菜。

 

だから、アルバム名も「ダシオシミ」になった・・・との噂。

明菜自身による、アルバム『アルテラシオン』

『雑誌 ワッツイン 1995 年末特大号』より。

明菜自身による、アルバム『アルテラシオン』の解説です。ここに再記載!

『アルテラシオン』=(スペイン語で)「変化」の意味。(1995・7・21リリース、売り上げ枚数14・9万枚)

(オリコン最高位7位、7・31付)

 

1 GAIA~地球のささやき~

  •  動きのある曲を しばらくやっていなかったので、特にアルバムの1曲目はノリのいいもので始めたかったんです。あとこの曲は2コーラスで終わってしまうようにして、何度も聴いてもらえたらなと狙っている曲でもあります。

2 SUNFLOWER 

  • この曲のタイプは今までやってきた曲とはメロディーもリズムの感じもまったく違っていて、歌うのに苦労しました。悲しいんだけど明るめで、せつないんだけど前向きなといった 感じを出したかったんです。

3 原始、女は太陽だった 

  • シングルとしてリリースした曲で、本当に大好きな曲です。アルバムでは歌を新たな気分で歌い直して収録しています。どこにもクレジットしなかったので、みなさんどれくらい気がついたでしょうか?

 4 TSURAI・TSURAI

  • リズムのノリが気持ちいいブラックノリの曲。大人っぽく少し エッチな感じが気に入っています。

5 したたる情熱 

  • いろんな楽器が入っているので歌が負けないように頑張った曲です。詞の内容が本当に悲しい内容なので、逆に悲しすぎないように 工夫して歌いました。

6 痛い恋をした

  • ゴスペルっぽい感じのバラードを以前から歌ってみたくて、やっと実現できた曲です。声の出し方をファルセトにしたので、すごく 優しいイメージで出来上がりました。

7 NECESSARY 

  • 昔の頃を思い出させてくれる、そんな曲です。今回のアルバムは いろいろと冒険したので、これは期待を裏切らない曲じゃないでしょうか。「スローモーション」の大人版という感じでしょうか。

8 無垢 

  • 歌っている時は、もっと力を入れたほうが良かったかなとも思ったんですけど、聴いてみると、いいバランスになっていたという曲です。

9 だからなんなの 

  • すごく激しい曲なので、最初はとても苦手だなぁと思っていたんですが、周りのスタッフが盛り上がっていて歌ってみたら、アッという間に録音できてしまった曲です。アルバムの最後はしっとりと終わりたくなかったので ここに選曲しました。

 

以上が、明菜自身による9曲の解説である。デビューから13年たって、まだ「変化」を続けようとする、歌い手・中森明菜の意志が強く感じられる作品。この頃は、マスコミのバッシング記事も酷くて、『「アルテラシオン」とは、当時の マネージャーE氏が、昔勤めていた店の名前だ』なんて下世話な情報を 女性誌『女性自身』なんかが毎週のように提供してくれてたっけ。

本当に、この頃の明菜は大変だったな、と今にしても思う。89年の 失恋報道、自殺未遂事件、90年に芸能界に復活してからも、「女性セブン」との裁判、大麻騒動(マネージャーE氏への疑惑。結果はシロ)、暴露本出版、アイセックによる訴訟、母の死・・・と悪い話題ばかり続いた。ファンクラブも消滅し、コアなファンも、かなり離れていった・・・と思う。

だが、明菜は唄う事を決して止めなかった。MCAビクターに移籍してからは、80年代のように爆発的なヒットのシングルは 出なかったが、むしろクオリティーの高いアルバム作品に重点を置いた、じっくりと聞ける 作品作りに専念していた、と言っても過言ではない。このアルバムは、

サーフ・ロックあり、ラテンあり、(今井美樹が重用していた作家陣による)ゴスペル・バラード、定番の熱唱型バラード、ヘヴィメタなど、本当にバラエティー豊かな、変化に富んだ作品郡だ。

残念ながら、不摂生による為か?声が割れて、「STOCK」の頃のような声量は 無くなってしまったが、その分 歌詞=言葉を抱きしめるように唄う中森明菜の 魅力にあふれている。強さ、弱さ、儚さ、冷たさ、温かさ、そしてエロティシズムまで 感じさせる、歌姫の表現力には、ただただ脱帽。今聞いても、遜色の無い歌ばかり。

 

  • ジャケット&歌詞カードの撮影は、モロッコにて撮影。フランス経由で行きました。(予算オーバーの800万円かかったとの噂。)
  • 曲の最後には、モロッコの町の雑踏の音が収録。(「クリムゾン」ぽいですねぇ)
  • 歌詞カード「だからなんなの」の所には、「UFO」?らしき物体が!当時TVの、いくつかの番組で話題になりました。
  • 今回のアルバムのコンセプトは、『人に任せる』ということ。ジャケット写真のセレクトも、選曲も、全部スタッフやマネージャーに任せて「歌」のみに専念したとの事。自分の好きな事だけ、自分の趣味だけを やりたくなかったから、との事。
  • 当時のマネージャーE氏のお気に入り曲は「無垢」との事。この歌の作曲は、『花よ踊れ』を作曲した羽場さんです。

 

スタジオ ボイス 1995年9月号より 

今月の新譜 中森明菜 アルテラシオン

相変わらず歌唱力はバツグンの歌姫様。シャバダバな貧血ウィスパーか カラ元気の人生応援歌ばかりが もてはやされる今日この頃だからこそ 一見 時代錯誤とも思われる 昔気質のザッツ・ゲーノー界な 
歌い込みと音作りがカックイー。 一息一息にからみつく 過剰な自意識が万人を納得させる芸に 昇華されるまでには まだまだ時間が かかりそうだけど、 ここまで来たからにはマジで ひばりを目指して下さい。

「DEAR FRIEND」 誕生秘話

(雑誌「週刊明星」1990・6・28号 より。)

「中森明菜(24)復帰への協力助っ人は 歌手 兼 作詞家の 美人フリーター(23)」

 

『「LIAR」以来、およそ1年ぶりの新曲になる「DEAR FRIEND」は、アップテンポの明るい曲だ。ジャケット写真にも、そのイメージ通り、先日、バハマへ旅行した際に、撮影したものが使われている。(中略)
明菜の新曲には、曲調にもジャケットの写真にも、復帰第1作にふさわしい、明るさと元気さが満ち満ちている。ただ、ひとつだけ意外だったのは、作詞作曲者が、どちらも、当初から噂されていた”候補者”とは違ったこと。井上陽水、山下達郎・竹内まりや夫妻、それに坂本龍一・・・そして、これらの人たちの中には、直前まで「有力」といわれていた人もいたが、実際には、そのいずれでもなかった。(中略)
作曲の和泉氏は、TUTUBEの「サマー・シティ」のアレンジをしたり、明菜の前作「LIAR」を作曲したりしているから、必ずしもありえない線ではない。

しかし、作詞家はまったく聞いたことのない名前でビックリ。それもそのはず。なにしろ、彼女はプロの作詞家として作品を発表するのは、これが初めてなのだ。

彼女は九州・福岡県の出身で、今年23歳。作詞家としては素人に近くても、歌手としてなら立派なプロ。最初にデビューしたのが、福岡県に在学中だった15歳のとき、女子高生ばかり6人で結成した元祖プリプリみたいな「白雪姫BAND」というバンドで、ボーカルを担当していた。3年間、そのバンドで活躍を続け、解散後、88年に、今度はソロとして、再デビュー。この3月には、テイチクレコードからアルバムも出している。ただ、歌手としては、必ずしも恵まれているとはいえないようで、最近では本業のかたわら、あるテレビの制作会社で電話番のアルバイトもしているという。いわば歌手兼フリーター。その彼女が、明菜の復帰を機に、突然作詞家として脚光を浴びることになったのである。

明菜の詞を書くことになったキカッケは、彼女の言葉によれば、「エーギョー」だった。(略)(昨年秋から)いくつか作品ができると、大胆にも彼女はそれを、明菜の担当ディレクターである藤倉克己さんに見せに行った。つまり「エーギョー」に行ったのである。「明菜さんって、とっても気になる女性なんです。あの一途な気持ち、私もそうですから、よくわかるんです。だから私の書いた詞を歌ってもらえたらと思ったら、そのまんま、電話番号帳で調べて約束もせずにレコード会社におしかけちゃったんです。」と、笑う彼女。しかし、世の中、そんな おいしい話ばかりあるわけではない。最初の作品はあえなくボツ。けれども、藤倉ディレクターには、何かしら心にひっかかるものがあったようで、今年になって、たまたまワーナー・パイオニアレコードへ遊びに行くと、今度は向こうから「明菜の新曲の詞を書いてみない?」と、声をかけられた。そこで彼女は明菜をイメージして「激愛」をテーマにした作品を書き上げるが、またしてもボツ。藤倉ディレクターの判断は、「いままでの明菜を意識しすぎ。その意識を取り払って書いてほしい」というものだった。

彼女は、「今度こそ」と意を決して、九州の実家に戻り、24時間、ほとんど不眠不休で1編の詞を書きあげる。それが「DEAR FRIEND」だった。

「自分の夢が うまくいかなくて、元気のない友達がいる。その友達に、手紙で『もう1回頑張ってみなよ』『気楽にやってみなよ』と呼びかけるのが詞の内容です。書いている間は、「ニュートラルな気持ち」を持ち続けるようにしました。」

藤倉ディレクターから、うれしい知らせが もたらされたのは、明菜がN・Yへ行く直前の4月末。「明菜が、とても気に入っている」というのだ。5月末には、レコーディング中のN・Yから国際電話。今度は
「とても いい感じで仕上がっている。明菜本人も、すごくノッてるヨ」というのだ。彼女は、天にも昇るような気分になった。

こうして、新進作詞家・伊東真由美が誕生した。(中略)考えてみれば、復帰第1作に彼女のような新人の作品を選んだということ自体、明菜の、これに賭ける意欲を表すものかもしれない。事務所もスタッフも「一からやり直す」ことをテーマにしたように、明菜は自分が歌う世界にも、未知の、だれも踏んでいない雪野原のような、新しさと新鮮さを求めたのだろう。(略)明菜の復帰は、今度こそ、本当の秒読み段階に入った!』

約1年という、明菜にとっては、非常に長期の休養期間からの復帰である。あの時は、どんな駄作のシングルでも、「飢餓状態」だった明菜ファンならば、購入したであろう。しかし、明菜&明菜サイドは、たった1つクリアしなければならない「テーマ」があった。それは・・・『新生』。「いろいろあったけれども、明菜は元気になった。生まれ変わった」

この1点のみを、世間にアピールしなければならない必然性があったのだ。これは、中森明菜の『歌手生命』を賭けた・・・と言っても過言ではない。遠く離れた所から、小さい針に糸を通すような、非常に難しいことだったと思う。

ただ明るい歌だけでもダメ。「今までとは違う、NEW明菜」をアピールしなくてはならない。当然、ワーナー、明菜スタッフも、沢山の大物アーティストに新曲依頼の声をかけたようだ。噂の域を出ないが、ユーミンにも打診したとか。

だが、どの大物アーティストの作品も、明菜は満足しなかった。(結果的に)結局は前作「LIAR」の作曲家(ランクとしては、Bランク級)と、作詞は、シロウト同然の作家を起用した。これが中森明菜の凄い所だ。

話は少し それるが、MCAビクターに移籍して、4年ぶりのオリジナル・アルバムとなった 「アンバランス・バランス」の1曲目。「永遠の扉」も、新人作家、夏野芹子を起用した。

明菜は、「有名な作家=すぐれた作品を作る」という図式を、大胆にも くつがえし 必ずしも、そうではない事を証明したアーティストなのだ。

DEAR FRIEND」は、オリコン・チャートで初登場1位を当然のごとく獲得。20作目の1位。年間チャート1位の曲となる、「おどるポンポコリン」とデッド・ヒートをくりひろげ、1度3位にまで落ちた順位を、再び1位に返り咲かせる・・という動きも見せた。(第1週目で15万枚以上のセールス。DESIREの約12万枚を更新)年間チャートでも6位。約57万枚の大ヒットに。90年代以降では、最高のセールスの明菜作品(シングル)となった。

89年7月の「事件」は日本中を騒がせた衝撃だった。そして、90年の「復帰」も、日本中を『明菜旋風』が吹き荒れた。

2007年の現在、今は、そんな過去を懐かしく思う。今ならば、ニュートラルな気分で「DEAR FRIEND」を聴ける自分がいる。

 

'99.11.16 東京国際フォーラム、「台湾大地震 ハート・エイド」

ZAKZAK '99.11.17

「デビュー以来、明るいメッセージの歌が少なくて、人を頭にこさせたり、暗くするような歌ばかり。でも唯一この歌は、(台湾の方に)元気を与えてさしあげられる」と紹介した上で、平成2年のシングル「Dear Friend」を歌った。

歌い終えてもまるで“引退コンサート”のように「やめないで!」と あちこちから心配する声が飛んだため、司会の福留功男氏が気遣って、「この歌声をまだまだ聞きたいですよね。みなさんで、『がんばれ、明菜』と言おう」とシュプレヒコール。この瞬間だけ台湾エイドから一転、“明菜エイド”に。との報道が為された。

 

今再び、改めて、この記事を明菜に届けたい。。

今も同じ気持ちだよ、と。

Cross My Palm

AKINAの新しい表現 英語詩アルバム「CROSS MY PALM」全解剖 

雑誌「オリコン」1987年8月号より

 

中森明菜のニューアルバムは、「CROSS MY PALM」。(8月25日発売)このアルバムに収められている12曲は、すべて外国人作家によるもので、明菜は全曲を英語で歌っているぞ。

このアルバムは、最近のアメリカのサウンド・トラック - 『トップガン』『ロスト・ボーイズ』『ビバリーヒルズコップ2』『ゴーストバスターズ』『フットルース』など - のように、複数アーティストによる、オムニバス・アルバムを明菜ひとりで 出来ないだろうか、というアイデアからスタートしているらしい。だから、曲ごとに色々なスタイルの歌い方をしているし、声の演出、キャラクターの変化にも大胆にチャレンジしている。

英語詩ということについては、NYで撮った同名のビデオのサントラにも使用されるので、よりイメージが広がるようにという狙いもあったようだ。また、明菜本人の強い希望もあっての実現だ。

 

「CROSS MY PALM」は、「運命を占う」という意味。その名の通り、今後の明菜を占うのに重要なアルバムだ。W・P(ワーナーパイオニア)の藤倉ディレクター(明菜担当)によると、「中森明菜という大きな幹があると思って下さい。そこから出ている葉の1枚が 「CROSS MY PALM」なんです。その葉が また大きな幹になるかもしれませんし、また全然違う葉をつけるかもしれません。今回も中森のチャレンジの1つなんです。」 とのこと。

 

CROSS MY PALM  オープニングから、いきなりタイトル曲。声の陰翳を巧みに使ったヴォーカルが印象的。♪AS I WALKED・・で始まる、女から男への囁き。「私の運命は、あなたにかかっている」という、甘くも 激しい女の囁きにドキッとする1曲。

 

POLITICAL MOVES インテリジェンスを漂わせた声と、ゾクゾクするようなONNA(女)の部分が両立する1曲。外人作家と明菜のカップリングならではの、ティピカルな洋楽ポップス。

 

SLAVE FOR LOVE ロバート・パーマー、マイケル・センベロ、アイリーン・キャラなどにも楽曲を提供しているデイビッド・バチューの手による作品。感情の起伏の少ないメロディーが明菜の女の魅力を倍化させている。(※カバーの可能性。)

 

EASY RIDER ミディアム・ダンスビート・ナンバー。かなり音域の広い曲だが、それを見事に歌いきっているのは、さすが。特にサビに入る EASY RIDER の箇所は、静の迫力がヒシヒシと伝わってくる。

 

MODERN WOMAN 原曲は、フランス語で書かれているナンバー。メロディーの端々に、フレンチ・ポップスの香りを漂わせている。陽だまりの中のアンニュイのような、ヴォーカル・キャラクターが最高。佳作である。(※ジャンヌ・マスのカバーである)

 

THE LOOK THAT KILLS シングル「BLONDE」の原曲。高い声で放つように歌っている。ブラック・コンテンポラリーで よく出会うギター・カッティングと、腰に来るリズムは、ディスコで流れてもGOOD。

 

SOFT TOUCH かなりセクシーな歌い方。相当に挑発的なヴォーカル。なめるようなスイート・ボイス。どれも かなりの線でゾクッとする。♪あなたの腕の中で太陽のように燃えたいという詩も、英語だから歌えるのかもしれない。同名ビデオでは、なかなかに、ヤバイ ビジュアルになるとか。

 

MY POSITION ポリスのアンディー・サマーズ(ギター)とも親交の深いトニー・ヒューメックが書いた曲。♪私たちは一緒に なるべきよ、と誘う女。ロンドン風のビートがきいた深いラブソング。(※カバーの可能性。)

 

THE TOUCH OF A HEARTACHE 元WHOの、ロジャー・ダルトリーのアルバムにも曲を提供している、ジュリア・ダウンズの手による曲。肉食の西洋文化圏における、ベジタリアンのようなアッサリとした、ヴォーカル。ツイギーな1曲。(※カバーの可能性)

 

HOUSE OF LOVE サンディー・スチュワートという フリードウッド・マックのアルバムにも曲を提供している女性シンガーソングライターが書いた曲。(※カバー作品のようである)

 

NO MORE あなたのワガママは、もうたくさん!という別れの歌。強い女、自立できてる女、意志ある女風である。が、別れる男を思いやる一面も見せる。

 

HE'S JUST IN LOVE WITH THE BEAT パット・ベネターノアルバムにも曲を提供している、コンビが手がけた曲。オールディーズ風のアッケラカンとしたムード。ポップで明るいヴォーカルで幕を閉じる。(※カバーの可能性あり)

 

以上が、オリコンからの転載である。12曲中、何曲がカバーなのかは、分からないが、半分(もしくは、それ以上)カバー作品なのかもしれない。だって、現在聴いても、かなり楽曲自体のクオリティーは高いしね。1987年の明菜は、本当に よく働いた。まさに「歌謡界の女王」であった。「TANGO NOIR」「BLONDE」「難破船」と、リリースしたシングルは全て30万枚を突破。年間チャートにもランクインさせている。

この英語アルバム「CROSS MY PALM」をリリースした、約1ヵ月後の9月30日に、名曲「難破船」をリリースするのだから。(「難破船」はカバーだけどね)演歌チックな世界の「難破船」。この曲は、今でも明菜の「代表曲」となっている。そんなシングルと並行して、ライブでは、「CROSS MY PALM」の楽曲を歌ってたんですよね。

20年前の明菜って、今 思い返しても「スゴイなぁ」と思うのでありました。
・なお、「CROSS MY PALM」は、最初から、「全米進出」なんて、明菜サイドは、ちっとも思ってない思う。あくまでも「日本の明菜ファン向けの、サービス」だった、と言えよう。89年夏に、アメリカで発売されて、90位台にランクインするなんて、関係者も思ってもいなかっただろうな。多分、アメリカ在住の日人が沢山買ったんじゃないかと。逆輸入もされたしね。もう1度言う。「20年前の作品」である。

 

「ヤンソン」より。明菜インタビュー。

「月刊明星」10月号・付録「ヤンソン」より。

「明菜 22の夏」

 

「わたし、7月13日に、やっと22才になりまして・・・。でも、わたしの顔って、すごく童顔だから、鏡の前で素顔を見ていると、”ほんとに22才の女なのかな”と思っちゃうんですよ。お化粧でなんとかカバーして、大人っぽく見せてるんです。実は・・・。(笑)8月25日に発売するLPを、やっと作り終えたんですけど、今回は、すごく大変だったなぁ・・・。なんと12曲、ぜーんぶ英語詩の作品なんですよ。わたしは、もともと英語ってニガ手でしょ?だから、英語の先生に来てもらって、ひと事ずつ、レッスン受けながら、レコーディングしたんです。それと、英語の歌って、発声が違うんですよね。ふつう、わたしの声のKEYは、F(ファ)→F までの範囲って決まってるんだけど、今度のLPに収録した曲は、もっとずっと高い声まで出してるんですよ。

A面の6曲目に入れた「THE LOOK THAT KILLS」という曲は、こないだ発売したシングル「BLONDE」の原曲なんです。ボーカルが全然雰囲気ちがうので、聴きくらべてみると、きっとおもしろいですよ。

(中略)

いま、ステージで歌っていると、本当に、みなさんと ひとつの心になれるような気がするんです。この気持ちは、ずっと大切に持って、これからも歌っていきたいと思います。どうぞよろしく。

 

アルバム・タイトルの意味は「運命を占う」。洋楽の「サントラ盤」のような作りになっている。シナリオ付の写真集、同名のビデオと、3点セットで、どうぞ。(ちなみに、ビデオは、映画「ナインハーフ」をイメージして作られたそう)全部、ぜーんぶ。ニューヨーク・ロケで、お金かかってます。ロケ中、NYの通りで、スタッフの1人が「ひったくり」に合ったそうで。そんな危険な街・眠らない街・NYでの「中森明菜の世界」を、ご鑑賞下さい。