Unbalance + Balance 明菜自身による、セルフ・ライナーノーツ

「中森明菜の代表アルバムは?」と人に聞かれたら、このアルバム名を挙げる。数多ある、明菜のオリジナル・アルバムの中でも最高傑作と言える。中森明菜の様々な才能が詰め込まれた、このアルバム魅力を一言では言えない。

1989年に発表された「CRUISE」より、なんと4年ぶりのオリジナル・アルバムである。この4年の間に、色々な出来事があった。「もう、明菜は唄う事を辞めてしまうのでは?」と思う日もあった。明菜が不在のミュージック・シーンにも大きな変化があった。明菜とリンクするように、89年秋に「ザ・ベストテン」が終了。続いて「トップテン」も終了。90年には「夜のヒットスタジオ」までが終了。歌謡曲畑で活動していた、いわゆる「アイドル」の活動が縮小され、消滅し「アイドル・冬の時代」が到来。代わって「バンドブーム」の到来。「プリンセス・プリンセス、米米クラブ、Bzなど)アイドルでは、WINK、工藤静香、中山美穂が健闘していたが、「80年代のアイドル時代」の輝きとは比べようも無い。そんな状況の1993年、明菜はレコード会社を移籍し、再スタートを切った。5月に第1弾シングル「エバーラスティング・ラブ」を発売。坂本龍一が作曲と言う事で、注目されたが、オリコン初登場10位。12・9万枚の売上。決して「駄作」では無いが、「凡作」。明菜は、この楽曲に、どうアプローチして良いかとまどったのかもしれない。「盛り上げる部分」が見つからないのである。後年、明菜は「もっと歌詞がセクシーだと良かった」「復帰1作目は、バーンとした曲が良かった」「唄ってても、全然楽しくなかった(TVでは4回しか披露してないのだが)」と言っていた。「明菜色」に染める程に、この楽曲を愛せなかったのだろう・・・。時間が少し流れ、夏が過ぎ、当時のEマネージャーの「大麻疑惑・騒動」が収まりかけた頃、久しぶりのアルバムが届いた。今は無き、六本木の「WAVE」で視聴して、感動した事を 昨日の事のように覚えている。


「中森明菜が帰ってきた」
「明菜は、『浦島太郎』には、なっていなかった」
「明菜は、レコード会社が変わっても、大丈夫だ」
「このアルバムは、ありそうでなかった 作品ばかりである」

 

「静と動、光と影、偽りと真実・・・と、彼女の存在は、これまでの活動の振幅があまりにも大きいため、アンバランスとも受け止められてきたと思うんですよ。しかし、今回のアルバムのコンセプトは、この絶妙ともいえる、彼女のバランス感覚を音源化することだったんです。」 (MCAビクター宣伝部):「明星」付録ヤンソン93年11月号

一言で言えば、「幕の内弁当的」 と言える。何を唄わせても、こなせてしまう明菜の「バラエティー」な部分をパッケージ化。作品に注目して見る。

①「永遠の扉」・・・前作「CRUISE」に続き、玉置浩二が作品提供。千住明による、スケールの大きなアレンジが印象的、千住氏は、明菜の91年復帰コンサートのオープニング曲も提供。彼との出会いが無ければ、「歌姫シリーズ」も、続いたかがどうか。また、作詞は夏野芹子。彼女が明菜に詞を提供した第1号。90年代の明菜の歌を語る上で、夏野芹子は外せない作家の1人。一見、この歌は「薄幸なバラード」だが、よく歌詞を読むと、「心を抱いて」「伝説を作るほど 愛して」と、失恋歌ではなく、求愛歌である事に気付く。

②「愛撫」・・・大傑作。80年代のアップテンポの代表作を「DESIRE」「飾り・・」とするならば、90年代を代表するのは、この曲。名曲というのは、歌詞・曲(編曲も含む)・歌唱の3つの要素によって生まれる。この曲は、その条件を過不足無く満たしている。「二人静」という歌は関口誠人との共作だった。松本隆が、「明菜のために書いた」初めての作品。(確か)・・・やはり松本隆は天才である。本来、「打ち込みの音」は、自分は苦手である。明菜も同様のようで、よく雑誌に「機械の音は、血が通っていない」「感情が無い」と言っていた。そんな明菜が「ベースやドラムを効かせて、音に厚みを・・」とプロデューサーに要求したそうだ。また、「人間は、息継ぎをするから、機械の音とズレる。だから、一歩「引いて」唄った」とも述べている。「愛撫」と「ノーマ・ジーン」は、92年には録音されていたようなので、93年8月にでも「シングル化」していれば、紅白歌合戦にも出場出来て、もっと順調な活動が出来たのでは・・・と今更ながら思う。
 

「愛撫」は、Mステーションをはじめ、数多くの歌番組で披露されて、93FNS歌謡祭のオープニング・アクトを飾った。有線チャートも3位まで上昇。年間カラオケチャートも12位と、アルバム曲としては、大成功を収めた。(94年に「片想い」のカップリングに)この歌では、「愛さないでね 愛してないから 哀しい嘘がひとひら」「許さないでね許してないから 憎むくらいに見つめて」の部分が聞き所。「探せば 探すほどLONLY NIGHT 見失う未来」の部分は、明菜が唄うからこそのリアルですね、ハイ。明菜とコムロのタッグは、今まで「ありそうで、なかった」世界を作るのに成功した。

③「黒薔薇」・・・前作「CRUISE」でも活躍した、オズニーメロの作曲。また明菜とタッグを組んで欲しい。彼の現況は如何に?作詞は、松本隆。オズニー・メロの「JAZZYな打ち込み音」に合わせて、歌詞もグッと大人の世界に。明菜自身も「いつか演じてみたい世界が、ここにはある」と言っていた。「愛撫」と比べると、より大人の「愛の幕切れ」を唄っている。ハイヒールは投げて欲しくなかったが。(笑)「刺激的な遊びなの」「ベッドの中では娼婦にさえなれた」・・男だったら、一度はこんなセリフを美女に言われてみたいもの。英語の歌詞「BLACK ROSE・・・」の一節は鳥肌モノ。こんな名曲を「Mステーション」と「94ライブ」の披露で終わらせてしまうのは、もったいない。MCA時代を代表する傑作。

④「YOU ARE EVERYTHING」・・・オズニー・メロの作曲。間奏のアレンジも渋い。歌詞は、明菜の歌にしては珍しく「ハッピー系」。(鮎川めぐみは、「BLUE RACE」も後に提供)だが、決して、この歌も  手放しで「幸福」な世界を書いてはいない。色々2人の間にはあったけれども、「もう1度初めから抱きしめて」「もう2度と この愛を離さない」と言っている。どちらかというと、「保守的な女」。そんな女性を明菜が見事に唄っている。

⑤「光のない万華鏡」・・本人作詞。関口誠人が作曲たった短い6行の詩。「何を聴いていても 悲しく聞こえる」とストレートな直球の詩。「あぁ、明菜は不幸だったんだね、この時」と思う。「光を失った鏡の前に立ち」・・・万華鏡じゃなく、鏡。そして、鏡が光らなくなったのではなく、映っている「自分」が光っていないのである。「花びらのこして 部屋をでていく」・・・かれも抽象的な表現。「花束」「花」ではなく、花びら。花瓶の中の花をむしったのだろうか?部屋とは、自分の部屋?恋人の?「でていく」・・・外出するというより、もう2度と戻ってこない感じがする。明菜の心象風景が見えてくる作品。1分たらずの歌だけれども、「教会音楽」のような・・・つまり賛美歌のようなアレンジが新鮮。1曲目が7分を超える「大作」だった故に、この短さが、良い「バランス」となっている。これも、今まで ありれそうでなかった作品。(96年5月DS、2000年ライブで披露。)

⑥「眠るより泣きたい夜に」・・タイトル名とは違って、クールな女性像。作詞は夏野芹子。このアルバムでは、2作品とも、いい仕事をしている。作曲は、BRO・CORN(確か、バブルガム?)だけあって、R&B。CORNは、雑誌「JUNON」で「明菜は、今まで振幅の激しい歌をのけぞって唄うイメージがあった」と言い、それとは違うイメージにしたかったのだという。実際、明菜はビヴラートをきかせる訳でもなく、冷淡にフラットな感情で唄いあげている。老婆心?ながら、40過ぎた明菜には、こういう曲をライブで、どんどん唄って欲しいと思う。本格的なR&Bのフル・アルバムを聴いてみたい。「VAMP」も良かったしなー。編曲はオズニー・メロ。いいアレンジです。

 

⑦「NORMA JEAN」・・・作詞:松本隆、作曲:小室哲哉・「ノーマ・ジーン」とは、マリリン・モンローの本名ですね。「ノマ・ジーン」と言えば、エルトン・ジョンが彼女をモチーフに名曲「キャンドル・イン・ザ・ウインド(風の中の ろうそく)」を作りましたね。ダイアナ(元)妃が亡くなった時は、葬儀で「グッバイ ノーマ・ジーン」を「グッバイ イングランド・ローズ(英国のバラ)」と変えて唄っていましたね。

さておき、マリリン・モンローは世界中の人に愛されてきました。時代のセックス・シンボルでありながら、最後は「睡眠薬 死」という悲しい最後。ケネディ大統領とも噂になりながら、映画では、いつも「美人だが頭の悪い女」を演しされられていましたね。(映画「還らざる河」くらいかな?知性ある女は)モンローは、美しかった。が、決して幸福では無かった。そんな所が、大衆、ひいては世の男性から永遠に愛されているのかも。(ダイアナさんにも共通してますね)

前置きが長くなったが、「NORMA JEAN」は、モンローの生涯を唄った歌、とも言えるのだが、これは「栄光を手にしたスターの悲劇」にも解釈出来る。もちろん、明菜にも。「いちばん大切な 何かを 失くした」「幸福は 買えない」「絶対に 買えない」・・・と。録音した時、明菜は「ノーマ・ジーン」=モンローとは知らなかったそうである。(笑)それが、かえって良かったのかもしれない、と ふと思う。この歌の主人公との「距離感」が、丁度良い。

⑧「NOT CRAZY TO ME」・・・最初、この歌は、「IT’S NOT CRAZY TO ME」のタイトルだった。NOKKOが作詞しており、まぁ、坂本教授の「人脈」の広さを感じるのだが、正直言って、この歌詞は良くない。「付け焼刃」で、急いで作ったという感じ。シングル「エバ・・・」のカップリング曲だが、まぁ、この時は明菜とスタッフの意思疎通が取れていなかった事が分かりすぎる。ま、その辺の事情は、元・側近の「暴露本」にも書いてあったので、これ以上は触れない。ただ、普通なら、この歌詞では「ボツ」である。「エバー・・・」にしろ、この歌にしろ、もっと時間をかければ、良い作品に仕上がったと思う。それが残念。そもそも、坂本龍一は、「売れセン」の楽曲を作る人では無い。(YMO時代の「君に、胸キュン」は、オアソビ。)だから、「エバー」にしろ、この歌にしろ、彼なりの「歌謡曲より」のアプローチだったと思う。明菜は「かっこいい曲を」と頼んだそうだ。歌詞が、もう少し「近未来的なメトロ」を表現して欲しかったなぁ。結局、NOKKOって明菜に対する「思い入れ」が無かったのだろう。「教授」に頼まれたから、って感じ。(大貫妙子もそうだけど)ただ、今 聴いても、この曲はこのアルバムの中に入ってて、全然おかしくない。そんな曲である。

⑨「陽炎」・・・「永遠の扉」の別歌詞&アレンジ。アレンジは鳥山雄司。明菜が作詞。今度は「6行」とかではなく、ちゃんと「作詞」をしている。過去の愛を回想し、慈しんでいる。「幸せと 思えるの 今でも」まず、アルバムで このような作り方をしたのは、明菜は初めてである。(他の歌手でも、このような作り方をした人はいるのだろうか?不勉強なので、知らない)歌詞とアレンジの変更で、見事に「別曲」になっている。唄い方も違う。明菜は、98年に「月の微笑」という歌をアレンジと共に2種類の唄い方をしている。やはり、ただ者ではない。「永遠の扉」が、「静かな炎」だったのに大して、「陽炎」は、もう悟りの境地というか、諦めにも似た感情で唄う。あなたが陽炎です。ハイ。22歳で「難破船」を唄ったように、この人は、いつも「先」を歩いている。大人の女性を唄っている。だからこそ、何年あっても、色褪せないのだろう。2000年のコンサートでは、東京・青山劇場でオープニングが「永遠の扉」ラストが「陽炎」という構成で、とても良かった。(途中の会場から、「陽炎」が「帰省」に変更。それも又 良かったが)「陽炎」の歌詞を見る限り、中森明菜のプロデューサーは、明菜自身なのだと再確認出来る。TVで1度披露。(歌謡ビンビンハウス)94年、95年ライブでも披露。の歌は、彼女の「スタンダード」の 1曲と なるであろう。

 

「アンバランス+バランス」(1993年9月22日リリース)

(オリコン最高4位、セールス18・6万枚)◎雑誌「ワッツイン」93年10月号(表紙&インタビュー)より

 

「永遠の扉」 曲を書いてくださった玉置浩二さんのことはインタビューでも言いましたけど、詞を書いてくださった夏野さんは、本当に女性の気持ちをわかってる人です。彼女の詞は大好き。

(注:雑誌本文インタビューより)「・・玉置浩二さんは、気心が知れてるところがあって、一緒にお酒を飲ませていただいたところもあるので、そういう意味ではお互い「見えてる」感じ。生意気な言い方ですが、楽ですね。玉置さんが海の水なら私は塩。すぐに溶け込めるかなっていう感じ」)

「愛撫」 アルバム全体の雰囲気を感じてもらうのには、この曲が代表的かもしれません。あくまでアルバム全体を今回は打ち出していきませが、テレビなどで1曲だけ歌う時は、この曲ですね。

「黒薔薇」 私は28なんですけど(注:93年10月)、まだまだ外見とかガキっぽいところがある。でもいつか年齢相応の女性になれたら、ぜひ歌の中で「演技」してみたい世界が この曲の中にあります。

「YOU ARE EVERYTHING」 どんなに強い女の子であっても、愛する人に対しては やさしい気持ちが持てる。そして、そのやさしい気持ちが愛の中で強さに変わるのであるなら、素敵じゃないかと思います。

「光のない万華鏡」 自分で詞を書いたのに、いつ書いたのか覚えてないし 詞の意味もわからない。これから自分で見つけていきます。このコ(私)は何がいいたかったのかを。(笑)

「眠るより泣きたい夜に」 小悪魔っぽいところって、必ず女性にはあるんですよね。そんな自分を意識して、たとえ自己満足でもいいから、ちょっと女優になってみるのも、いいんじゃないですか?

「NORMA JEAN」 私、デビューした頃から、田原のトシちゃんから言われてた。「お前はマリリン・モンローに似てるよ」って。もちろん外見とかじゃないですよ。で、最初はどういう意味だか わからなかった。そのうち23くらいになって、他の人からも言われだした。だからこの詞が来た時には、なんか不思議な縁を感じましたよね。

「NOT CRAZY TO ME」 本当は、もう少し音をいじりたかったんですけどね。シングルで出てるものと、全然違った感じにしたかった。しかし、いろいろな事情もありまして。本当は、もっといじりたかったのよ。気持ちは分かってね、と(笑)。

「陽炎」 自作の詞なものですから、ワイド・ショーでは、『現在の私の心境』だと言ってましたが、決してそうでは、ありません(笑)。くよくよしないで前向きに生きていくことの大切さ--- それを この歌に込めたつもりです。